映画『国宝』感想(ネタバレなしレビュー)|役者の本気が胸を打つ、挑戦と没入の記録

エッセイ

昨日、映画「国宝」を観てきました。
あまりの凄さに、観終わった後もしばらく考えてしまいました。
なぜ人々は映画「国宝」にここまで熱狂するのか?と。

▪️映画「国宝」とは
原作者・吉田修一自身が3年間歌舞伎の黒衣を纏い、楽屋に入った経験を血肉にし、書き上げた渾身作「国宝」が、李相日監督によって映画化。
任侠の一門に生まれながらも、歌舞伎役者の家に引き取られ、芸の道に人生を捧げた主人公・喜久雄の50年を描いた壮大な一代記。


📚原作はこちら

歌舞伎や日本舞踊の「素養」

小さい頃から稽古を積み、所作や芸を磨き上げていく——。
わたしの中で、歌舞伎や日本舞踊はそういう世界というイメージがありました。
おそらく、多くの人も似た印象を持っているのではないでしょうか。

その前提があった上で観た「国宝」は、衝撃的でした。
なぜなら、歌舞伎や日本舞踊の素養がない役者さんが、素晴らしい歌舞伎の舞台を劇中で披露していたからです。

他の映画との違い

医者が主人公の映画でも、役者さんが本当に執刀するわけではありませんし、
スポーツの映画でも、演技であって実際の競技として成立させる必要はないですよね。
歌手を描く映画なら、歌える俳優や歌手本人を起用することが多いのではないでしょう。

でも「国宝」は、歌舞伎役者を起用するのではなく
歌舞伎役者ではない人が、ゼロから歌舞伎役者としての芸を身につけて、演じている。
歌舞伎という専門性が高い芸術を扱っているからこそ、その事実は際立ちます。

この時点で、作品は強いドキュメンタリー性を帯びていて
まるで真剣勝負の試合を観ているような緊張感と熱気がスクリーン越しに伝わってくるのです。

長期間にわたる努力が生んだ本気

役者さんたちは1年半ほど稽古を重ねたそうですが、その努力は少し見ただけでもビシビシと伝わってきます。

特に「曽根崎心中」の演技には鬼気迫るものがあり、息を呑みました。

その姿からは、役への没入や真剣さが強く感じられました。

人は「本気」に心を動かされる。
まさにその瞬間を目撃したようでした。

想像を超えるパフォーマンス

正直、わたしは主演の吉沢亮さんや横浜流星さんについて詳しくなく、
特別に演技派という印象を持っていませんでした。

だからこそ、あの演技にはとても驚かされました。

想像をはるかに超えるパフォーマンスに良い意味で裏切られ、
感動を覚えた要因のひとつだと感じました。

歌舞伎に造詣の深い人からすると思うこともあるのかもしれません。
でももし、本物の歌舞伎役者さんが喜久雄を演じていたら、歌舞伎のリアリティは向上すれど
この感動はうまれなかった。

ゼロから向き合って、あの演技をしたという事実が
高い評価に繋がっていると感じます。

その努力や才能がある意味、作中の喜久雄たちと重なる部分もあって
役者さんとストーリーとの親和性が際立つ作品だと思いました。

まとめ

「国宝」は、単なる映画ではなく、役者の挑戦と努力をリアルに体感できる作品でした。
ゼロから始まり、1年半の稽古を経て舞台に立つ——その過程と本気度が観る者の心を動かします。
歌舞伎という非日常の世界が、観客を異空間へと誘い、物語だけでなく演者そのものに感動を覚える。
そんな稀有な映画体験でした。

極力ネタバレなしでストーリーには触れていませんが、
ストーリーや映像美が素晴らしいのはもちろんで、わたしの同行者も物語に惹き込まれて涙を流してましたね。3時間があっという間でした。

でもストーリーに入り込む一方で、どこかメタ的な目線でこの映画を観ていて
役者の努力や真剣さ、そしてその没入感に圧倒されていました。
“人の本気が放つ熱”が、映画を鑑賞したあとも胸に残っています。

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