東京ひよ子はぽてっとこんなに愛らしいのに、なんで人間はカリカリになろうとするのか。

エッセイ

先日、東京ひよ子を愛でながら食べている時に、ふとこんな疑問が浮かびました。

「東京ひよ子はぽてっとふくふくなところが素晴らしい。なのになんで人間はカリカリになろうとするんだろう?」

昔から痩せていることが美しいとされる風潮がありますが、本当にそれが正しいんでしょうか。

ぽてっと愛らしいフォルムの魅力

東京ひよこってどうしてこんなに可愛らしいんですかね。
東京ひよこは絶対に顔から食べることができない、もっとも食べにくいお菓子ですよね…。

顔から食べられないのは、あの愛らしい目を見てしまうからでしょうか。ぽてっとふくふくしたフォルムがかわいすぎて、思わず愛でてしまいます。(そしてぽてっとしたお尻から食べる幸せ。)

このように、ぽてっと愛らしいフォルムというのはなんとも魅力的なわけですが、
人間となるとそうはいかない、という風潮がありませんか?

わたしが小学生くらいの頃、もうそんな子供の頃には「細いのが美しい」っていう価値観になっていたと思うのです。

あれってどうしてなんでしょうか。ちょっと深掘りしてみましょう。

なぜ人間は「カリカリ」を目指すのか?

西洋文化では、古代ギリシャやルネサンス期の美術作品を見ると、曲線的で豊満な体型も理想とされていた時代があったんですよね。
なぜなら昔の時代(特に中世や江戸時代まで)は「ふくよかさ」が富や健康の象徴だったことが多いから。
食べ物が不足していた時代では、太ることができるのは裕福な人だけだったからです。

でも19世紀以降、細身の体型が「洗練」や「知性」の象徴とされるようになり、これは特に上流階級の価値観として広まりました。

服や映像を映させるのが、痩せている体型、という点も大きいと思います。
モデルや映画スターはみな痩せていたので「痩せていること」がスタンダードになって、これが女性たちの「美しさ」へのイメージを変えていったみたいです。

その影響が今でも続いていて「カリカリ」を目指すようになったと言えるかもしれないですね。

ふくふくとカリカリ、それぞれの美しさ

実際は、東京ひよ子がぽてっとして可愛らしいように、
痩せているモデルさんがすらっと美しいように、それぞれの良さがあるんじゃないかな〜と思います。

だってもし、東京ひよ子がカリカリだったらあんまり美味しそうじゃないし、ごはんが食べられてないのかな?と想像しちゃって可哀想。なんだか悲しい気持ちになります。笑

もしモデルさんがふくふくだったら、デザイナーさんが頑張って作った洋服のラインやディティールが崩れてしまいますよね。

ふっくらとした人は優しい安心感を与えやすかったり、痩せているひとは洗練された知性を感じさせたり。

それぞれ確実に良さがあるはずなんです。

自分らしさを愛でてみよう

どんな体型やフォルムであっても、お互い、自分たちの良さを認め合ったり
どんな自分であっても、ちょっと愛でてみたりできれば
それはきっと幸せなことなんじゃないかな〜と思うのでした。

「カリカリ」「ふくふく」
なにが良い、じゃなくてどんな自分でもいいんですよね。

あなたも自分らしい『かりかりふくふく』を探してみてはいかがしょうか。




鳩胸すぎる東京ひよ子
鳩胸すぎる東京ひよ子
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